50年の絆
本日は佐久の家に居ます。
あの「あさま山荘事件」のゆかりの地です。
主人の年老いた父母が静かに暮らしていて、母は歩く事がままならず、家の中でも車椅子で、認知症です。
最近めっきり食が細くなってしまい、栄養も、普通の食事から摂取する力が徐々に無くなってしまい、栄養剤を服用していますが、
すっかり痩せてしまいました。
それでも、私が作る食事は「おいしい」と食べてくれるので、とても嬉しいです。
今年84歳です。
幸いにも、父がまだ元気で、母の介助をしてくれるので、本当に助かっています。
父は私と晩酌をするのが楽しみなようで、ビールだけは、切らさないようにいつも冷蔵庫に用意してくれています。
とてもいい舅と姑だと思います。
6年前に「金婚式」を迎えました。
夫婦揃って80歳越です。
夫婦を50年やっているって凄い事だと思います。
主人が小さい頃の舅と姑は仲が悪く、よく喧嘩をしていたそうです。
ですから、姑は
「とうちゃんが、今こんなに優しく面倒をみてくれるとは思わなかった。」
と、口癖のように言います。
きっと私達にはわからない、夫婦の歴史があって、50年の歳月がふたりの絆を深めたのでしょう。
以前は、子ども達を育てるために一生懸命働く事が何より優先で、お互いに余裕が無くて、お互いを見ることができなかったのだと思います。
それが今、ひと段落して、ようやく肩の荷が下りて、気が付いたら「ふたり」だったのでしょう。
だから、現在は「お互い」が一番の優先なのです。
身体が弱くなったり、考える事に時間がかかったり、日増しに心細くなっていく中で、お互いが唯一の支えなのでしょう。
父はさっきも
「俺は、最期まで面倒みてやるつもりだ。これが、夫婦になった責任であり、今まで一緒に苦労してきた感謝の形だから。」
と言って、ビールを飲み干しました。

あの「あさま山荘事件」のゆかりの地です。
主人の年老いた父母が静かに暮らしていて、母は歩く事がままならず、家の中でも車椅子で、認知症です。
最近めっきり食が細くなってしまい、栄養も、普通の食事から摂取する力が徐々に無くなってしまい、栄養剤を服用していますが、
すっかり痩せてしまいました。
それでも、私が作る食事は「おいしい」と食べてくれるので、とても嬉しいです。
今年84歳です。
幸いにも、父がまだ元気で、母の介助をしてくれるので、本当に助かっています。
父は私と晩酌をするのが楽しみなようで、ビールだけは、切らさないようにいつも冷蔵庫に用意してくれています。
とてもいい舅と姑だと思います。
6年前に「金婚式」を迎えました。
夫婦揃って80歳越です。
夫婦を50年やっているって凄い事だと思います。
主人が小さい頃の舅と姑は仲が悪く、よく喧嘩をしていたそうです。
ですから、姑は
「とうちゃんが、今こんなに優しく面倒をみてくれるとは思わなかった。」
と、口癖のように言います。
きっと私達にはわからない、夫婦の歴史があって、50年の歳月がふたりの絆を深めたのでしょう。
以前は、子ども達を育てるために一生懸命働く事が何より優先で、お互いに余裕が無くて、お互いを見ることができなかったのだと思います。
それが今、ひと段落して、ようやく肩の荷が下りて、気が付いたら「ふたり」だったのでしょう。
だから、現在は「お互い」が一番の優先なのです。
身体が弱くなったり、考える事に時間がかかったり、日増しに心細くなっていく中で、お互いが唯一の支えなのでしょう。
父はさっきも
「俺は、最期まで面倒みてやるつもりだ。これが、夫婦になった責任であり、今まで一緒に苦労してきた感謝の形だから。」
と言って、ビールを飲み干しました。